興正寺ガイドのコースをご紹介します。
Koshoji guide tour
興正寺ガイド
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五重塔
平成大仏
鳥居
八事山興正寺。宗派は高野山真言宗で、総本尊は大日如来です。
1688 年、各地を歴訪し修行を重ねた天瑞圓照(てんずいえんしょう)和尚が宗派にとらわれず戒律を学ぶ寺として創建されました。
八事山遍照院興正律寺(やごとさんへんじょういんこうしょうりつじ)と命名したのは、尾張徳川家 2 代藩主光友公です。
光友公の帰依を受けたことにより、以降、尾張徳川家の祈願所となり、境内に徳川家の葵紋を使うことを許されました。

[A]興正寺概略
興正寺は東山と西山の域に分かれていますが、開山の天瑞圓照和尚が開いた東山が長らく興正寺の中心で、女人禁制の修行の場でした。
一方、西山の域は民衆の参拝も許されていて、特に五重塔が建立されてからは参拝する庶民で賑わいました。
門前には茶屋や宿屋もあったと言われています。
幕末から明治にかけての廃仏毀釈の危機も乗り越え、戦災の被害もなく、信仰の場、憩いの場として親しまれています。
興正寺には現在、総門が有りません。寺の門というのは一つの結界であり、仏の世界への扉です。参道は仏に向かう道になります。
興正寺は信仰の場であり、仏事で訪れる人もいます。
また、あらゆる建造物、石ひとつにも意味があり、信仰の対象となっています。
境内では人にも物にも失礼のないように心がけましょう。

[B]中門、手水鉢
僧侶の修行の場で女人禁制であった東山と、大衆信仰の場であった西山の境界に女人門がありました。
これが戦後になって 1954 年(昭和 29 年)中門としてここに移築されました。
手水鉢では、左手、右手、口、柄杓の順に洗い浄めます。口を漱ぐときは、柄杓に直接口をつけないようにしましょう。
両手を清め口をすすぐことは、心(魂)も洗い浄めるという意味になります。

[C]平成大仏
2014 年(平成 26 年)建立の釈迦如来像です。
総高 7.1 メートル、重さ約 6 トンで青銅鋳造に漆塗り仕上げとなっています。
門外不出となっている天瑞圓照和尚作の掛け軸に描かれた御仏が再現されています。
富山県高岡市にて製作されました。
この地を永遠に見守り、国家安穏、国豊かで皆が平穏なれとの祈りが込められています。

[D]縁結びの木、姿見の阿伽井戸、微妙の橋
縁結びの木は樹齢 200 年を超すクロガネモチの古木です。
左右の枝が互いに手を取り合うように繋がっています(連理木と言います。)。
木の下にある「なで石」に願を掛けて 3 度撫でれば相手の心に通じてご縁が成就すると言われています。
老若男女を問わず人気が有ります。
「阿伽」とは仏様にお供えする綺麗な水という意味です。
姿見の阿伽井戸に自分の姿を映して姿がはっきり映れば元気な時といわれ、ぼんやりとしか姿が映らない時は要注意と教えてくださる不思議な井戸として話が伝わっています。
興正寺は水が豊富で、境内のあちこちに水の流れがあります。
微妙の橋は元々反り橋でしたが、現在は橋の左側のわずかな部分だけが反り橋となって残っています。
法華経のお経が橋の中に納められており、手を合わせ、自分の悪い行いを反省しながら心静かにこの橋を渡れば、その罪は許されると言われています。

[E]五重塔
開山没後 100 年ほどたった 1808 年、城下の家々の寄進によって作られました。
尾張藩が作ったわけではなく、興正寺が城下の家々から少額ずつのお布施を集めて建立しました。
許可が出てから完成までに 10 年を超える歳月がかかっています。
興正寺のシンボルであり、結界の役割も持っています。
一度も火災に遭わなかったのはまれなことですね。
五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変わるきっかけとなりました。
国の重要文化財としては東海三県に現存する唯一の木造五重塔です。
<構造について>
5 階建てにみえますが内部は一つの空間です。
高さ 26 メートルで、心柱(しんばしら)は心礎(塔の心柱の礎石)の上に立っており、初層内は土間です。
初層の間口は 3.94 メートルで、塔身が細長く相輪(仏塔の屋根から天に向かって突き出た部分)が短い形状は江戸後期の塔の特徴です。
各階の流線形の屋根と長い軒に注目して下さい。
日本古来の宮大工の技術で複雑に組まれ、各層が絶妙なバランスを保ち塔が支えられています。
連なる屋根は、仏教の源流にある古来インドで高貴な人に差し掲げられた大きな傘をイメージしていると言われています。
仏舎利を納めるストゥーパ(仏塔)として建てられたのが起源です。
興正寺の五重塔では塔そのものを総本尊大日如来とみたて、心柱に大日如来像が安置されています。
さらに四方に阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)が祀られています。
内部は残念ながら非公開です。

[F]西山本堂
1750 年建立しました。
興正寺の信仰の中心であり日々の祈りと先祖の供養などを執り行う場です。
本尊の阿弥陀如来の他、文殊菩薩・大隨求明王・不動明王・愛染明王・弘法大師・寿老人・賓頭盧尊者などの仏像が祀られています。
屋根の上にあるシャチホコ(または鯱瓦)は、火事から守ってくれる火除けの守りです。
仏教寺院ではお参りの時には手をたたきません。
お賽銭を入れ、頭を下げて手を合わせます。
正式には、ろうそくと線香、花を供えます。

[G]能満堂
能満堂に上がるにわ3つのルートが有ります。
 石段:尾張家寄進の建造物です。足場は悪いが歴史あるものだけに利用する意義はあ
ると思います。
 エスカレータ:ゲストの状態に応じて利用すると良いのではないでしょうか。
 厄除け階段:厄年を階段で表現しています。一段上がるごとに厄が落とせるという有り難い階段です。
19 段、33 段、42 段目に踊り場を設けてあります、全 61 段の階段です。
昔から 61 年目が生まれた年と同じ暦(こよみ)になるため、この年を迎えると生まれ直すと考え、めでたい事として祝う風習があり還暦と呼びました。
江戸時代と暦の数え方が変わった現在では、60 才を還暦と呼ぶ事が多く、60 才、あるいは61 才の誕生日を特別な日として健康長寿を祝います。
能満堂は、尾張徳川家 6 代継友公建立のお堂で、継友公が祈願した建物です。
本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)は開山天瑞圓照和尚が自ら彫ったと記録があります。
虚空蔵菩薩は「智慧の仏様」と言われます。通称、虚空蔵様(こくうぞうさま)と呼ばれています。
記憶力に関わる学問の向上、合格祈願、ボケ封じなどを願って参拝する人が多くいらっしゃいます。
お堂は改修されていますがほぼ創建時のままです。もともとは茅葺でした。

[H] 佉羅陀庭園、女人門跡、不動明王像
佉羅陀庭園は、能満堂横の比較的新しい庭園(庭園墓)です。
季節の花や可愛らしい六体のお地蔵様がさまざまな表情で和ませてくれます。
佉羅陀(からだ)とはお地蔵様の世界のことを言います。
興正寺は東山と西山に別れており、かつては東山が興正寺の中心でした。
創建当初の興正寺は尾張藩主やその関係者のための寺であり、学問と修業の場であったため庶民が気軽に参拝することはできませんでしたが、江戸時代中期以降、西山は誰でも入れるようになりました。
一方、東山は引き続き僧侶を育てるための修行の地であり、女人禁制の地でした。
尾張徳川家ゆかりの姫君でも東山に入ることは許されませんでした。
東山と西山を分ける境界には門を設け、塀と土塁をめぐらし女人禁制を守りました。
明治になり女人禁制は廃止されました。
昭和になってから、かつてここにあった女人門は中門として現在の場所に移築されました。
不動明王は大日如来の化身ともいわれます。
右手に剣、左手に綱を持ち悪徳を犯す心(煩悩)を許さないという固い決意を表しています。
女人門跡横にも立っています。

[ I ]墓地参道(女人門跡から納骨堂への道)
墓地参道の左右に並ぶのは宝筐印塔(ほうきょういんとう)です。
仏様への功徳を積んだり、先祖を供養するために建立されたものです。
経本や写経が納められたものもある。墓では
ないのでお骨は入っていない。石に刻まれている梵字は仏を表す。これだけ多くの宝
筐印塔が並ぶ寺院は珍しい。
宝筐印塔の奥には墓も見られる。日本の墓は、家族単位。墓に参るのは「家」と先祖
の恩を大切にするから*。
興正寺の石造物群(石仏・宝筐印塔・五輪塔・石碑など)は一般墓石を除いて一千基
以上あり、近隣の寺院と比べても類を見ない。

[J ]圓照堂
神楽殿(2009年に再建されました。)で初宮参り・安産・厄除・家内安全などのご祈祷が行われます。神聖な音楽や巫女(みこ)による舞が演じられます。

[K]普門園
(神楽殿と清水社の間の土用殿の前で)土用殿(どようでん)は旧本殿の東側の建物です。
本殿が現在の位置に移るまで、この建物に草薙剣が祀られておりました。
戦災により焼失しましたが再建されました。
清水社の祭神は水をつかさどる神。
楊貴妃伝説にまつわる美のパワースポット。
楊貴妃は中国の皇帝の妃。日本では絶世の美女としてよく知られています。
湧き水の中の石は楊貴妃の墓石(五輪塔)の一部と言われています。
その石に水をかけて祈るとお肌がきれいになり美人になると言われ、若い女性たちにパワースポットとして人気があります。
本殿が移ったのは 1893 年。
それ以前は旧本殿(正殿と土用殿)のあった旧本宮から現在の南門駐車場までまっすぐな参道が続いていました。
この旧参道は現在も残っており通ることができます。
※清水社の奥から本宮の北や西を巡る「こころの小径(こみち)」があります。
神秘的で厳かな雰囲気が漂う森の中の散策路は大都会にいるのを忘れて歩くことができます。
外国人旅行者が建物より自然を楽しみたい、あるいは、時間が充分あるようでしたら、ガイドコースに加えるとよいと思います。

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