2015年度の講演会として、武道家の Steve Bellamy 氏をお迎えし、英語講演会が行われました。会場は名古屋市守山区の金城学院大学、テーマは Welcome to 愛知 ― Home of the Samurai Spirit です。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が生まれたこの愛知には、献身、誠実、勇気といったサムライの魂とも言うべき日本の精神が息づいており、海外からのお客様を迎えておもてなしするAGGNのボランティア活動の心もそれと同じなのではないかというお話に、参加者一同それぞれ様々な想いを巡らせました。
また、神道夢想流杖術師である Bellamy 氏は、お弟子さんと一緒に杖術のデモンストレーションも見せてくださり、たいへん緊張する場面もありましたが、途中の休憩時には Mrs. Bellamy さんのストレッチ体操の指導もあって肩もほぐれ、例年とはちょっと違う異色の講演会となりました。(中田 記、写真提供 北野)
2016年4月から、名古屋城の定期ガイドが週7日催行となる計画をふまえ、ガイドが担当できる人材の養成を図るための 「ボランティアガイド養成講座」 がスタートしました。たいへん多くの方にお申し込みをいただき、先ず第1グループの座学講座と現地での2回の現地講座が終了しました。
初日の20日は名古屋地区の積雪10センチという悪条件でしたが、この日に予約されていた皆さんはそれぞれ熱心に取り組まれ、既に入会を希望された方が幾人もいらっしゃるようです。今後 3月中頃までさらにいくつかのグループの研修が行われる予定ですが、たくさんの方にご入会いただき、一緒にガイドする仲間の増えることが期待されます。(中田 記、松川 修正、写真提供 北野)
11月15日(日)、今年度第6回研修会は岡崎城と八丁味噌の郷を訪ねる研修会でした。25名の参加者(うち会員は24名)が名鉄東岡崎駅で集合し、3名の岡崎観光ガイドの方のご案内で、菅生神社、三河武士のやかた家康館、岡崎城、岡崎公園、八丁味噌の郷などを見学しました。
地元を熟知したボランティアガイドの方々のおかげで、見どころの多い岡崎城とその周辺を効率よく見学できました。江戸幕府を開き名古屋城を築いた家康がこの地で生まれ、ここから歴史が始まったと思うと、たいへん感慨深いものがありました。
八丁味噌の郷では、案内係の方に英語でガイドをしていただいた後、試食や買い物を楽しみました。(松川 記)
10月17日(土)、第5回研修会「英語でガイドする白鳥庭園」が行われ、会員34人、学生1人を含む一般6人が参加しました。 参加者たちは、白鳥庭園を日頃ガイドしている会員8人が庭園内の各所に配置されてそれぞれ説明するのを聞きながら、約1時間ほど園内を廻りました。
ガイド終了後は、一同が清羽亭の広間に集まり、ゲストからよく出される質問や、園内ツアーでは触れられなかったポイントなどを確認したりしました。
この日の研修会には外国人ゲストも7人 が参加してくださり、別グループで園内を散策されましたが、この方たちに白鳥庭園の印象を伺いますと、正門にある「のぞき」や階段の模様など、あらゆる部分に見られる様々なストーリーを聞くことで、庭園がいっそう alive で meaningful になるのではないかと言われました。また、解釈の難しい現代的な「汐入の庭」の部分も、伝統的な中にも時代の変化を取り入れていく姿勢が伺えてとてもよいことだと思うと、ポジティブなコメントをいただきました。 (山田 記)
今年度の第3回研修会は、「名古屋城の魅力を再発見しませんか」 というテーマで8月23日(日)に行われました。ご講演をしてくださったのは、名古屋ご出身の、広島大学大学院教授、三浦正幸 先生です。暑い日にもかかわらず、会場のウィルあいち3階の会議室いっぱいに会員を中心として50名が集り、じっくりとお話を伺いました。
日本の城をはじめとして、神社・仏閣、民家など、日本の古い建築がご専門の先生は、多くの貴重な資料を参考にされながら、日本各地の他の城と比較して名古屋城がいかに素晴らしいかを、様々な観点からユーモアたっぷりに強調され、2時間半のお話があっという間に過ぎていきました。特に、戦災前の名古屋城の実態、例えば天守閣最上階の天井が本丸御殿の格式の高い一の間と同じ小組格天井であったとか、鉄砲玉の材料である鉛の板が大量に備蓄されていたとか、など、知らないこともたくさん教えてくださり、また石落し狭間の役割や、石組みの城壁の形など、私たちが日ごろのガイドで普通に説明していることの間違いも指摘され、今後の名古屋城ガイドにとってたいへん良い勉強になりました。 (中田 記)
7月25日(土)、第1回交流会 「名古屋城石垣刻紋の拓本採り」 を行いました。
参加者は、会員10名、一般日本人2名、外国人10名の計22名でした。
この拓本採り交流会は、名古屋城振興協会様のご好意で実施させていただくようになり、今年で4回目です。初めて拓本とりをする外国の人でも、振興協会の方が 「プロ並みだね」 と絶賛するほどきれいに拓本を採る人がいます。しかし、毎年参加してくださっていてもなかなか上手く採れない人もいます。私もその一人ですが…。
35度近い暑さの中、1時間ほどじっくり拓本採りをした後は涼しい二の丸茶亭に移動して、休憩しながら外国人参加者から感想を伺いました。カナダ、アメリカ、イギリスなどでは、どのようなものを拓本に採るのか聞いてみたところ、木の年輪や木の皮、木の葉、墓石、遺跡の石などで、主に子供たちのアクティビティだというお話しでした。皆さん、暑さに負けず楽しく交流できたと思います。 (山田 記、 写真提供 松川)
5月17日、2015年度の第2回研修会「名古屋城ガイド研修」が、年次総会のあとに引き続き名古屋市市政資料館2階の集会室で行われました。
今回は、ここ数年お仕事の関係で名古屋に在住しておられる Andy Voss、 Susie Voss ご夫妻をお招きし、先ず前半は、外国人が名古屋城のどんなところに興味があるのか、また名古屋城をガイドする時の英語表現について Andy さんからお話を伺いました。
また後半では、Susie さんから、ガイドをする時の心構えとして、笑顔で、自信を持って、ゲストとの共通の話題を、大きな声ではっきりと、そしてゆっくり話し、ガイドそのものを楽しんでほしいと話され、これから名古屋城ガイドの活動が拡大していくという状況の中で時宜にかなった内容の研修会であったと思います。
ただ残念ながら今回の研修会では、会の進行や会場の設営など運営面について一部の参加者からご不満の声が聞かれ、いくつかの反省すべき課題を残しました。 ご不快な思いをされました方々には心よりお詫び申し上げます。 (中田 記)
5月17日、2015年度の年次総会が名古屋市市政資料館2階の集会室で行われ、次の議題が審議・可決されました。
1) | 2014年度 事業報告 |
2) | 2014年度 収支決算報告および監査報告 |
3) | 2015年度 事業計画 |
4) | 2015年度 収支予算 |
5) | 2015年度 役員の選任 |
今年度の事業計画のうち、特にガイド活動の計画として、名古屋城の定期ガイドの拡張(週4回の催行)について会員の方々のご賛同をいただきましたので、7月からの実施を目指して新しい体制作りがスタートすることとなります。 (中田 記)
3月15日、JICA中部「なごや地球ひろば」のセミナールームにおいて、2014年度の英語講演会が開催されました。講師は、南アフリカから1986年に国連研究員として来日、以後ジャズシンガーとして活躍する傍ら、いくつかの大学や高校で教鞭をとり、また南アフリカ共和国の駐日大使館の芸術・文化親善大使を務めるプリスカ・モロツィさん、テーマは 「南アフリカ共和国の今、そしてこれから」 でした。
お話は先ず南アフリカの地理的な位置から始まり、そこに住んでいる人たちのルーツ、言語、服装、食べ物、日常生活上の習慣、そして音楽に至るまで、幅広い様々なお話をお聞きすることが出来ました。アパルトヘイトの悲惨な記録と同時に、明るい陽気な南アフリカの音楽やダンス ―― 映像と音響を駆使したパワーあふれる2時間に、50人近くの参加者一同圧倒され、私たちがあまり知らない南アフリカの新しい姿を知ることが出来たすばらしい講演会でした。 (中田 記)
2月8日、2014年度最後のガイド研修会として、名古屋城の建物および天守閣の展示品について理解を深めるための研修会がウイルあいち3階の会議室で行われ、一般参加者を合わせ50人近くの人が集りました。この日の講師は名古屋城総合事務所学芸員の小西恒典氏、たくさんのスライドを使い、的確でわかりやすいご説明に、参加者一同たいへん良い勉強になりました。
お話は先ず、私たちがガイドのスタート地点としている名古屋城東門から始まり、東南および西南隅櫓、本丸表二之門、石垣の鏡石、櫓門、枡形構造、などについて、普通では簡単には見ることが出来ない名古屋城の昔の写真などもたくさん見せてくださり、とても興味深くお話を聞くことが出来ました。天守閣のことに話が移ると、日本の城の中での名古屋城天守閣の特徴、天守閣の役割、金シャチ、などについて具体的に比較しながらお話くださり、また天守閣内の展示物についても、各階ごとの説明があり、太刀、脇差、短刀、薙刀、槍、火縄銃、などの特徴、また甲冑や兜などについても触れられ、当時の庶民の生活の中で1両が現在の10万円くらいに相当するといったお話は実際の計算の根拠などを示すという具合で、すべてに説得力があるお話でした。また会員からのいくつかの質問にもお答えくださり、講演終了後も何人かの会員が質問の列を作るほどでしたが、それにも丁寧に答えてくださっていました。 (中田 記)