まだ天守にも入れるし、御殿のモデルも見られました。
Omote-shoin, the entrance hall of Hommaru Palace, will be finished and opened to the public in 2013.
Models of Honmaru Palace are exhibited on the first and third floor
in the main tower and Shoin Zukuri can be seen there.
When we describe a beautiful lady, we usually say “She stands like a
peony in a garden and walks like a lily in breeze.(リーダーさんより)
中国や朝鮮半島では松と一緒に描かれるのが人気だったそうです。
日本の竹虎図は仏典に 描かれた物語から来ており、僧侶に相応しい画材でした。
竹がなびく様子は激しい風を表し、作画上でも竹の向きと単純 な彩色などが、画風に工夫しやすい構図だったようです。
椿の説明がちょっと難しい時が有ります。
「資生堂シヤンプー」と言うと「Tsubaki」と理解され易いそうです。
但し、アジアのゲストに限られますがーーー。。
椿は首が落ちるようにポトンと花が落ちるので、縁起が悪いとよく言われます。
椿は常緑樹で冬でも緑を保ち、早春から花を咲かせるので、江戸時代よりもずっとずっ
と以前から、
仏教でも神聖な植物と好まれて来ました。
武士の間では、花ごと落ちる椿はかえって「いさぎよし」として好まれ、
江戸時代、各藩では椿の育成、
品種改良などを奨励していたそうです。
尾張徳川藩も 例外でなく、各種の名品が創造されていました。
「庭に植えると縁起が悪い」と言い出したのは、明治以降の庶民だそうです。
(元)武士 に対するやっかみがが一般化したものと思われています。
元々「若の浦」と呼ばれた景勝地があり、奈良時代から和歌によく読まれていたので、
いつの間にか「和歌の浦」の地名になったそうです。
1585年羽柴秀吉の命で城を作った時に、秀吉が「和歌山城」と命名したことが和歌山の由来になったみたいです。
古来より、夏の気候が高温・多湿なので、通気性に優れ、材料が豊富にある木造家屋の文化が有りました。
そこに文化・文明の進歩とともに寺社・仏閣の木造建立が進ん だ結果、木造建築技術が向上し、木造建築が定着したと思われます。
ヨーロッパでも木造建築は有り、木造教会も残っているそうです。
猿が水に映った月を取ろうとして、枝が折れ、おぼれ死んだという「僧祇律」の故事から来ています。
身の程知らずの望みを持ってかえって失敗 することのたとえとの事ですが、家光の身の程知らずの望みって、
何だったんでしょう?
脱出の際は土塀の下方に造られた門をくぐり、石段とはしごで空堀へ下り、水掘りへ。
船で対岸の下深井御庭へ渡り、土居下から清水、大曽根、勝川、定光寺を経て、
木曽へ と逃走する事になっていました。
土塀の下をくぐり・・・との表現があること(名古屋城こぼれ話、名古屋城振興協会編、) また広辞苑には、
埋門とは城郭の石垣・築地塀などをくり抜いて造った小門とあるので、地下隧道ではなかったと思われます。
愛知県内で活躍する観光ボランティアガイドグループ相互の情報交換及び連携の促進を図ることにより、
観光ボランティアガイド活動の充実及び各地域の観光振興に資するとともに、観光ボランティアガイド自身の生きがい作り
並びに愛知県観光のイメージアップに寄与する事を目指しています。
敵が容易に進入出来ない様に作られている為です。
特に関ヶ原合戦以前に建てられたお城の階段は勾配が70度もあり、攻撃力を削ぐ構造になっています。
エジプト人のゲストから、お祈りの時間だからどこかお祈りをする場所がないか?と聞かれた事も有りましたが、
残念ながらそういう場所は設けられていません。
でも、お祈りの時間を変更する事も出来るようです。ガイドを続行するかどうか、ゲストと相談するのが良さそうです。
家光は 3 度上洛していますが、2 回目の上洛時(1626 年)は、二条城にて後水尾天皇に拝謁し、
3 回目の上洛時(1634 年、御代替の御上洛)は、京都御所にて明正天皇に拝謁したようです。
1回目は良く分かりません。
金シャチ横丁の義直ゾーンに「矢場トン」の店舗があります。
義直ゾーンのおみやげ販売店「なごみや」に金シャチ横丁のパンフレットがあるので活用下さい。
珊瑚樹です。秋には珊瑚のような赤い実がなります。
防火樹として庭などに植えられますが、実は食べられないようです。
半ズボンのゲストが廊下に片膝ついて撮影していたら、その態勢は止めて欲しいと言われました。
素肌が触れてはいけないのでしょうか?
戦後天守閣が無くなったので、森川勘一朗さんはじめ有志の方々が、多くの人にお城に来て頂きたい、
との思いから、作られました。
最高ランクの知行一万石以上が5名(成瀬、竹腰、渡辺、石川、志水)、五千石以上が4名、千石以上が70名、
五百石以上が83名、百石以上が723名程だったようです。
成瀬さんは犬山城主ですが、ほとんど名古屋城に居たとのこと。
「ご来城記念符」が、正門と天守閣前の土産物店で、1枚300円で購入出来ます。
カラスは神話にも登場するくらいなので、アジアに生息するカラスが日本に飛来し定着したようです。
ということは、日本人と同じ?
Dijian Tushuo です。でもこれは中国語の英語読みですね?ということは、世界中の人はDijian Tushuoと言って、
日本人だけが「ていかんづせつ」と言っている訳ですね。面白いですね。
ガイド活動中はもちろん、研修会やミーティング等を含む活動中の様々な事故による怪我や、活動中の偶然の事故によって
他人を傷つけたり、他人の財産を損壊した場合等の損害賠償責任を保証する保険です。
上段の間西側の障子の所からではないでしょうか。
権威を象徴するのが一番でしょうが、ローソクの光を反射して部屋を明るくする事も考えられていた様です。
小堀遠州(庭園や建築のデザイン、及び茶道で有名)などの大名が天守閣、隅櫓等の建築を担当 しました。
基本方針は家康、デザイン(設計の具体案)は中井大和守正清です。
「愛知善意ガイ ドネットワーク」の英語名 Aichi Goodwill Guides Network の頭文字です。なので、AGGと略さないで下さいね。
そう問われると、一寸戸惑ってしまうのがAGGN会員です。
ガイド経験豊富な方から、ガイドに一歩踏み出した方まで色々です。
名古屋城でのガイドを中心に、名古屋の名所をご案内しています。国際会議等での受付などでお問い合わせに対応したりもしています。職人展のご案内もしますよ。