My Favorite Spots
一度足を運んでみては如何でしょうか?
お薦めのスポットをご紹介するコーナーです。
ガイドするもよし、そぞろ歩くのもよし、かも。
大須観音と円空上人の故郷、羽島市にようこそ! 末松百合子さん(正会員)
☆概要: 羽鳥市というと田園風景を思い浮かべる方が多いかと思いますが、木彫りの擾しい笑みが印象的な円空仏の作者「円空上人」生誕の地であり、名古屋の大須観音のふるさとでもあります。
円空資料館では柔和な笑みを浮かべた十一面観音菩薩像(県重要文化財)ほか、多数の円空仏を見ることができます。
そこから車で10分程南に行くと、元祖大須観音(真福寺)もあります。
小さなお寺ですが、およそ460年前の情景を思い浮かべ、手を合わせてみてはいかがでしょうか?
☆見所ポイント: *大須観音(真福寺):
鎌倉時代に建立され、南北朝時代こは全盛時代を築きました。しかし残念ながらその後、水害などにより荒廃しました。
1612年、徳川家康が由緒ある真福寺と水難を逃れた寺宝「大須文庫」があることを知り、真福寺を名古屋城下へ移転させました。
これが今日の「大須観音」です。
現在の寺は村民により昔を偲んで建立された寺で、阿珠陀如来橡などが安置されています。
*中観音堂・羽島円空資料館
円空は江戸時代(1632-1695)の修行僧で洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体もの仏像を彫刻しました。
この資料館では、県重要文化財に措定された17体の円空仏を間近に見ることができます。
また、隣接して「円空上人産湯の井戸」があり気軽に見ることができます。
Enjoy hanging around the Retro Spot in Nagoya City! 犬山美穂さん(正会員)
☆ 概要
私の趣味は町ブラサイクリングなのですが、簡単そうで簡単じゃないのが名古屋の町中、碁盤の目のような通りは方向が分からなくなり、私がもし江戸時代の忍者ならたちまちのうちにお縄になっているでしょう。
先ず、最初に迷い込んだ場所“長者町繊維街”、ブロックごとに建っているこの看板はでっかい!字体も色もよく来たな一と言わんばかりにこれでもかとそのアイデンティティを示しています。
通り沿いのビルは殆どが老舗らしく社名は創業者の名前で一部は改装されカフェやレストランになっています。
昭和レトロと新しいアイデアが混ざり合った町中をビジネスマンが 奔走している様子はとても面白いです。
☆ 見所ポイント
*繊維卸問屋街
戦後、繊維問屋が集まって出来たこの地域は日本三大繊維問屋街の1つだった程栄えたところです。
個人でも、和装小物、着物、手芸用品、布地など楽しく買い物できるお店が捕っています。
2010年国際芸術祭“愛知トリェンナーレ’’の会場の1つになった場所で、通りの壁や閉店された店のシャッターはアートギャラリーになっています。
通りにはビジネスマンに人気のランチが気軽に食べられるお店が多く、買い物の合間に美味しい食事タイムを楽しめます。
*伏見地下街
地下鉄伏見駅A-Eの地下街出入り口はとてもユニークです。
階段を降りると100m程の通路の 壁や床は不思議なトリックアートでいっぱい、名古屋市内で最も古い地下街で、約40店舗のお店は立ち飲み居酒屋からレトロなカフェ、靴修理までバラエティーに富んでいます。
海外から来られたお友達と町ブラを楽しんだ後、ちょっと入りにくいけど入ってみたら名古屋サイコー!の長者町 居酒屋体験ツアーなんていかがでしょう。
毎月第二日曜日は長者町レトロストリート骨賢市が 開かれています。
名古屋城おひざ元の町並み保存地区を歩いてみませんか  市川幸治さん(正会員)
☆見所ポイント
* 五条橋:慶長15年(1610)の満州越えの際に、名古屋城築城に合わせ城下町の建設資材や生活物資搬入のため堀川が開削された。
その堀川にかかる橋は当初は五条橋、中橋、伝罵橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋の七橋だけだった。
五条橋は清州の五条橋にあった木造の橋をそのまま堀川に移築した。
現在の橋は、1938年(昭和13年)のコンクリート進の橋です。御影石の親柱、高欄、擬宝珠、石張舗装が落ちついた印象 になっています。
五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、慶長7年(1602)の銘があり、橋が清州から移築されたと分かる。
橋の西詰を南北に通るのが、東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ美濃街道です
* 四間道(しけみち):名古屋にある4つの町並保存地区のひとつで名古屋市西区那古野町にある。
1700年の元禄の大火の後、道幅を4間(約7メートル)に広げたことに四間道の名の由来がある。
古民家風カフェやレストランもあり、一休みができる。
1647年創建とされる浅間神社(せんげんじんじゃ)が那古野の中心だ。なかなかきれいにされていて、気持ちがいい。
このあたりは大名古屋空襲で焼け残った場所なので町屋や土蔵が今に残っている。昭和を思わせる路地に入れば隠しきれない生活感が感じられる。
家屋の屋根に載っている、屋根神様を発見する喜びもある。
四間道を代表する風景の一つ培屋根神様(やねがみさま)というのは名古屋地方特有の風習で、自宅の屋根に作ったミニ神社だ。
10年前にはこの界隈に6社ほどあったが、 現在は2社になってしまった。
。豊田の戦国山城、おいでんませ一! 野村幸一郎さん(正会員)
☆名称:豊田市の戦国山城探索
☆概要:今静かな山城ブームです天守閣も御殿もないけど戦国のリアリズムが伝わって来ますよ~。
山城は 本来遠くから攻めてくる敵を見つけるために造られた施設ですから、とても景色の良い所に建っていま す。
それに、人工の施設と自然がごっちゃになっていますから、それを区分するのも面白いです。
豊田 といえばクルマの町、でも、徳川家康が初陣も飾った城など、戦国の山城が一杯あるんですよ~。
時には戦国時代に思いを馳せて豊田市の山城跡を訪ねてみませんか!
☆見所ポイント
* 松平城:(築城:松平信光1510年頃、標高254m)若き家康が天下を夢見た巨石あり。
建物はないけど、曲輪、石垣、土塁、堀切等一通り見られる。山城入門に最適。
* 足助城:(築城:鈴木善阿弥14世紀、標高301m)戦国要塞の施設が完壁に再現されている全国でも珍しい山城。
1573年武田信玄が2千人の兵で攻めたとき、鈴木氏が30人で守り抜いたことで、有名。周辺の山々に狼煙をあげる支城が点在しているのも面白い。
* 丸根城:(築城:丸根家勝1501年、 標高50m)大きな堀と巨大な曲輸。1561年家康に攻められ落城。
記録に乏しく、陣屋の形が不明だが、想像を掻き立てられる。御殿もあったらしい。桜の名所で、4月に訪れ、ぶらぶらお散歩はいかが?
* 大結城:(築城:松平乗元1507年、 標高207m)巨石群と、「水手曲輪」と言われる戦国時代のダムが見所。
さらに、謎の建物の墓跡があって、巨大な櫓の存在が想像されるロマンの地。名古屋駅前の高層ビル群がはるかに見える。
以上のほかに素敵な山城いっぱいあります。登山靴はいりません。運動靴でどうぞ。興味のあるかたは 野村までご連絡を。案内しますよ。 80
古川美術館、為三郎記念館を訪ねてみませんか! 三宅優里さん (正会員)
☆ 名称 :古川美術館、為三郎記念館の探索
☆ 概要 : 故古川為三郎 さんは、日本ヘラル ド映画 (現・角川ヘラル ド・ ピクチャーズ) を創業 し、日本を代表する映画配給会社へと育て上げた方です。古川美術館には、生前氏が収集 したさまざまな美術品が展示されており、また数寄屋造りの氏の邸宅は為三郎記念館 として保存され、さまざまな日本文化や美術品を楽しむことができるので、是非訪れてみてください。
☆ 見所ポイン ト
*古川為三郎氏の略歴 : 愛知県中島郡萩原村 (現一宮市)出身。名古屋市の宝石店で奉公した後に独立し、映画館「太陽館」を開業しました。そして 1956年 (昭和31年)に日本ヘラル ト映画 (現・角川ヘラル ドピクチャーを創業し、日本を代表する映画配給会社へと育て上げました。また、映画事業のほかにも手広く事業を行い、約30社からなるヘラルドグループを築きあげました。 100歳を過ぎても名誉会長として業務にあたり、牛涯現役を貫いたそうです。
*古川美術館の美術品 : 1991年 に開館した美術館には、上村松樹、片岡球子、鏑木清方、川合玉堂、竹内栖鳳 横山大観、小磯良平などの画家による近代日本画を中心とし、洋画、陶磁器、工芸品などの作品が約2800点収蔵されています。4月 からは「愛知県立芸術大学 模写展~片岡球子が遺した古典模写事業とその後継者たち~Jの展示があり、模写とは思えないほどの精密さで再現された仏画の名品を間近で楽しめます。
*為三郎記念館の建物 : 古川為三郎が晩年を過ごした邸宅を2007年に古川美術館の分館としてオープンしました。 1934年 (昭和9年)に建築された元料理旅館で、とても雰囲気のある数寄屋造りの建物です。
*為三郎記念館の茶室、日本庭園 : 母屋のほかに日本庭園やその中に建つ茶室があります。 現在は年に数回の企画展やイベン トなどが開催されるほか、呈茶コーナーがあり日本庭園を眺めながら素敵な茶碗でお茶をいただき、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
☆ アクセス : 地下鉄東山線 池下駅 1番出口より東へ徒歩3分
☆ 入場 料 : 800~ l000円 ※展覧会により変動。 為三郎記念館開館時は共通券。 70
山門から岡崎城を眺めてみませんか? 和合弘美さん(正会員)
☆名 称 :大 樹 寺
☆概 要 :
将軍家の菩提寺として知られる浄士宗の寺、松平4代親忠が文明7年(1475)勢誉愚底(せいよくてい)上人を開山として建立した。「大樹」は唐名で将軍の意がある。松平7代清康が七堂伽藍を造営し、その後多宝塔を建立した。永禄3年(1560)の桶狭間の合戦後、大高城から逃げ帰った松平9代元康(徳川家康)は先祖の墓前で自害しようとしたが、13代住職澄誉上人は、「厭離穢土(おんりえど)」 「欣求浄土(ごんくじょうど)」の教えを説いて翻意させたといわれている。「位牌は三河大樹寺に」という家康の遺命により徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置され、毎年4月17日には家康公の遺徳を讚える御神忌法要が営まれている。元和3年 (1617)2代将軍秀忠が松平8代の廟所を完成させ、寛永18年 (1641)には3代将軍家光が大方丈、山門、総門、鐘楼を建てた。家康は15歳の時、父広忠の7回忌法要をここで営んでいる。これが最初の参詣で、最後は慶長17年 (1612)1月に訪れている。
☆見所 ポイ ン ト
*大樹寺と岡崎城を結ぶ歴史的眺望 (ビスタライン)
境内から大樹寺山門、総門(江戸寺代に塔頭寺院があった場所に立てられた大樹寺小学校の南門)を通して岡崎城が見える。これは3代将軍家光が、家康公の17回忌を機に伽藍を整備した際にととのえられた。この眺望(ビスタライン)を守るため、大樹寺小学校の体育館は高さを抑え、半地下式になっている。
*多宝塔 (国重要文化財)
天文4年 (1535)に松平7代清康(家康の祖父)が建立した 一層は方形、二層は円形の二重塔、蟇股(かえるまた)、拳鼻(にぶしはな)などの彫刻模様に室町末期の特色を示している。
*廟 所
右端の初代松平親氏より3代信光までは宝筐印塔、4代親忠力から7代清康までは五輪塔 、8代広忠(家康の父)は無縫塔。昭和44年 (1969)家康の墓が宝塔型で建てられた。
*宝 物 殿
正面に家康の木像、秀忠とお江の位牌、家康の母於大と父広忠の位牌が並ぶ。右側には家康の13回忌に尾張藩の徳川義直が寄進した松平8代の位牌、左側には初代から14代までの歴代将軍の等身大の出牌が並ぶ。(15代慶喜の葬儀は神道で行われ位稗はない)
☆ア クセ ス
岡崎市鴨田町宇広元5-1 成道山 松安院 大樹寺 TEL1 0564-21-3917
宝物殿拝観時間 :午前9時~午後5時 (4~ 9月) 午後4時半(10~3月)
*受け付けは終了時刻の30分前まで
① 名鉄「東岡崎駅」またはJR「岡崎」から「大樹寺J「 奥殿陣屋」「滝団地」行き等のバスに乗り「大樹寺」下車、徒歩10分
② 愛知環状鉄道「大門」駅より徒歩 15分 69
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