My Favorite Spots
一度足を運んでみては如何でしょうか?
お薦めのスポットをご紹介するコーナーです。
ガイドするもよし、そぞろ歩くのもよし、かも。
瀬戸のツアーガイドに参加して 中村 和代さん (正会員) NL99
3/29日、伊藤美智子さん(正会員)のお誘いでアメリカ人14人と瀬戸の陶磁器巡りをしました。彼らは陶芸家で日本の焼き物に興味があり彼らの要望で瀬戸蔵、招き猫ミュージアム、染め付け陶芸館、登り窯を案内しました。私は瀬戸も陶芸もほとんど知識がなくちょっと不安でしたがこれもチャンス‼ 新しい事が学べると考え直しました。
事前に二人で学芸員の方々から話を聴きに行き見学場所までの道順、トイレ、時間など確認しました。私もネットで瀬戸の歴史、染付,六古窯など調べました。
漠然としていたものが段々と輪郭がみえてきて不安が少し解消されていきました。しかしここで問題発生‼ 食事場所です。残念ながら瀬戸には一度に大勢を受け入れてくれるお店はありません。
しかもメンバーの一人がビーガンということがわかりました。どうする⁉ 結局スーパーの和食店で食事をすることにしビーガン総菜の持ち込み許可を頂きました。ビーガンは予想外でした。反省点の一つです。
当日は好天でゲストの人達も陽気で話が弾みよく歩きました。
今回アメリカ人を案内して感じたことは日本人と違って時間に縛られないことでした。他のメンバーがお買い物に夢中でも全員揃うまで文句も言わず待っていました。国民性の違いでしょうか?でも買い物好きは万国共通。行く先々で時間も忘れ買い物を楽しんでいました。私にとって非常に有意義なツアーでした。誘って下さった伊藤さんに感謝です。
醸造業で栄えた半田市の歴史と文化を辿ってみませんか?内藤裕子さん(正会員)
☆名称:半田運河と蔵のまち・赤レンガ建物
☆概要:知多半島最大の半田市は、古くから地域の経済・産業・文化の中心を担ってきました。
醸造業に代表される黒板囲いの蔵が今も残る静かな半田運河沿いに当時のなごりがあります。
江戸時代には大きな酒樽・酢樽を積んだ廻船が半田港と江戸を往復していました。
このあたりは、今も明治時代の豪商の邸宅(国の登録有形文化財・重要文化財)等が点在しています。
地図を片手にぶらぶら歩き、当時の賑やかだった運河界隈の人々の営みを感じてください。
運河を離れ北に向かい、当時染物屋が多くあった紺屋街道を抜けて、明治時代にビール工場として建造された全国で最大級の規模を誇る半田赤レンガ建物にも足を運んでみませんか。
また忘れてはならないのが、半田市に31輌ある豪華絢爛な山車です。
豪商が古くから海運・醸造業で財をなした町らしく、300年余の繁栄の歴史と伝統がここに見られます。
☆見所ポイント
*ミツカンミュージアム:日本唯一の酢の博物館。江戸時代に始まった酒造業で余った酒粕から、酢を大量に作ることに成功。
米酢に比べて安価で旨味と甘みもある粕酢が人気となり、江戸での握り寿司ブームに一役担ったともいわれています。
当時の歴史・醸造技術・作業工程を丁寧に紹介しています。体験型のツアーも楽しめます。事前予約が必要です。
*国盛酒の文化館:200年前に建てられた酒蔵をそのまま利用した文化館です。
1844年に創業された国盛の伝統の道具や資料を見学できるほか、試飲もできます。事前予約が必要です。
*半田赤レンガ建物:明治31年、丸三麦酒のビール工場として誕生し、今では幻となったカブトビールを全国に出荷しました。
建物は国の登録有形文化財・近代化産業遺産です。当時のレシピを基にしたカブトビールが売られています。
※上記3つの施設は、コロナウイルスの影響で休館または通常の営業とは異なる可能性があるので、確認が必要です。
*半田山車まつり:5年に一度、半田10地区から31輌の山車が一堂に会する様は圧巻です。春の例祭には各地でそれぞれ山車が曳き廻されます。
中でも亀崎地区の潮干祭りは山車を海に向けて曳く豪快なもので、国の重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化財に登録されています。
☆アクセス:半田運河までは
*マイカー 知多半島道路「半田中央」ICから約15分
*名鉄河和線「半田」駅から徒歩約15分 または JR武豊線「半田」駅から徒歩約5分
☆参考URL:半田市観光ガイド|半田市観光協会公式サイト (handa-kankou.com)
Hammering Out the Detail Mr. Dustin Harris
I may not be able to get lost in a new city due to the pandemic, but I can get lost in a new project.
I love to make things, and because of Japan’s commitment to keep traditional crafts alive I have been learning to make Japanese armor for the past five years.
Not long after arriving I learned of a Japanese armor creation course at one of the culture centers in Nagoya City, my hometown in Japan.
The next thing I knew I was on my way to crafting my first helmet.
I’m sure my neighbors weren’t so excited about my new hobby!
Imagine watching your neighbor carrying an anvil into their apartment!
Every class I learn something new.
There is always a new step I was not aware of, or I learn a new way to use my tools.
It is exciting to know that I am learning a craft that not only goes back centuries but endures to this day.
Making armor requires patience, and an eye for detail.
Now when I visit a museum, I can look at a suit of armor on display and have a much deeper understanding of the craftsmanship that goes into each piece.
I often wonder if the armorers of old felt the same joy that I do when I finish a new piece of armor.
The best part however is not the creation of each new piece of armor.
It has been the friendships that I have cultivated and the wonderful people I have met because of taking these classes.
Moving to and living in a different country can be very lonely if you let it and getting involved in a craft class is a wonderful way to make new friends and meet like-minded people.
小牧山城 の歴史を巡り 、信長に思いを馳せてみませんか 後藤孝一(正会員)
我が家からほど近い小牧山は、小牧市の市街地の西に位置し、標高85.9メートルの小山で頂上からは平野を一望に 見渡すことができる眺望の地で、私も自転車で訪れる場所です。春の桜、夏の青葉、秋の紅葉と季節折々の姿を見せ、 麓には広場が拡がり、多くの市民に散歩、スポーツと親しまれています。小牧山の「今」をご紹介します。
永禄6年(1563)、織田信長は美濃方面を一望できる小牧山に城を築きました。近年の発掘調査で山頂に石垣を全周 させた主郭を置き、これを中心に武家屋敷や演習場など複数の曲輪を配置した城郭であったことがわかってきました。 永禄10年には美濃の斎藤龍興が住む稲葉城を攻略して、岐阜と名を改め居城を移したので、小牧山城はわずか4年で廃 城となりました。天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉軍に対し織田信雄・徳川家康連合軍が小牧山城 跡を大規模に改修して陣城を築きました。小競り合いが続きましたが両軍は和睦し、小牧山城は再び廃城となりました。 土塁、虎口などこの時の遺構から、当時の大改修が偲ばれます。その後、小牧山は、江戸時代は尾張藩、明治時代に は尾張徳川家の手厚い保護を受け、堀や土塁などの残存状況が良好で、城郭史上貴重な史跡となっています。
現在の小牧山城は、昭和41年に小牧山を訪れた実業家がお城の建設を思いつき、市と協議しながら私財を投じて建 設し、昭和43年に小牧市に寄贈されたものです。鉄筋コンクリート造、三層四階建てです。城内には旧石器時代から のこの地方の歴史コーナー、民族コーナー、濃尾平野が一望できる展望室など「小牧市歴史館」として利用されてい ます。平成29年に「続日本100名城」に認定されています。
小牧山に戦後建てられた中学校と市役所は移転し、小牧山の遺跡発掘調査が順次すすめられ、石垣の発掘、広い曲 輪を利用した史跡公園の整備など、小牧山は益々魅力あるスポットに変貌しています。麓には「れきしるこまき小牧 山城史跡情報館」が平成31年4月25日にオープンしました。小牧山城をはじめ小牧山に関する最新の情報を、映像 機器などを通しておもしろく、わかりやすく学ぶことが出来る施設です。訪問の折には、先ずここで概要を得て、見 学されることをお勧めします。
小牧山散策を楽しんで小牧駅への帰り道には、メナード美術館で絵画を鑑賞され、行列の出来るたこ焼き「ほていや」 で庶民の食を味わっていただき、一日小牧を満喫ください。
Calm in the middle of the City Ms.AbieCapitin-Principe
I’ve been living in Nagoya for sometime now, and frankly, I find Nagoya a great city to live in.
One of my favorite places in Nagoya is the Koshoji Temple, in Yagoto.
Quite a picturesque place all year round.
It is an easy walk from either Yagoto or Irinaka stations, and many universities, surround it.
I love taking walks at Koshoji, and sometimes on weekends there is a farmer’s market.
Meandering through the temple is the graveyard, depending on the season and time of day it can be a little eerie, but worth taking the time to see.
The temple is a good place to get away from the hustle and bustle of the city, while still being inside the city.
I find this place unique because it is in the middle of a bustling, urban area.
Coming from Manila, we have parks, but not in the middle of the central business area.
In my country people unwind in malls, or parks inside malls.
But in Koshoji, I can enjoy nature, without being tempted to go shopping.
Another thing I love about Koshoji is that it’s just so peaceful.
The little, tree shaded paths that snake around the grounds, remind me of hiking paths, and I really love hiking.
For me, Koshoji is my mini-hike, secret garden place. It is a calming influence, in the middle of the city.
It makes me happy to live in Nagoya, because of places like Koshoji Temple.
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